近所の愛称「山田屋」・・・ 群馬県 ごまちゃん様

近所の愛称「山田屋」で小学校時代にさんざん通い詰めました。200円までだった遠足のおやつに、また、近くの公園で遊ぶ合間に、いつも行っていました。その後山田屋には行かなくなりましたが、今でもコンビニやスーパーでうまい棒やベビースターを見ると買ってしまいます。特に復刻版や、地方版シリーズみたいなのを見るとうれしくなります。

小学校の頃・・・ 埼玉県 poni様

小学校の頃、毎日母親から250円をもらっては駄菓子屋に行っていました。先日たまたま通りすがったら、お店はなくなっていました。そこのお店のおばあちゃん(当時からおばあちゃんだったので)はもう亡くなっていると思いますが、今思い出すと、ほのぼのした気持ちになります。

私が小学校のころ・・・ 東京都 エリー様

私が小学校のころ、すでに駄菓子屋は減少の方向に進んでいました。その少ない中の駄菓子屋に、私はよく行ってたのを覚えています。駄菓子屋の雰囲気はコンビにに駄菓子が売っているのとはやはりわけが違うと思います。子供ができたら子供に駄菓子屋の雰囲気を味わってもらいたいです。駄菓子堂が店舗となったら…なんて期待もしてます(笑)今後の発展を祈っています!!

小学生時代の思い出は・・・ 群馬県 NANA様

小学生時代の思い出は、駄菓子なくしては語れないですね!友達と遊ぶときはいつも駄菓子を片手に走り回っていました。(笑)100円というおこずかいの範囲で買い収めるのに、「何をけずろうか?」と日々悩んだものです。親になった今でも子供と一緒に100円で買い収めるのに悩む日々ですよ。

学校から帰ると・・・ 茨城県 ゆうたくまんま様

学校から帰ると近所の駄菓子屋さんに通っていました。握り締めた100円玉でどれだけ上手に個数をたくさん買えるか、くじつきなら当たり!!を願って購入してました。プラスチックの入れ物から串つきのいかやカステラチョコなどをとるのも楽しみでした。お気に入りはヨーグルトの入れ物を真似たおかしや黄な粉棒など。今も息子たちがくじをひいたりして駄菓子屋さんには行っていますが種類が少ないのに驚きました。

小学生の頃の私にとって・・・ 東京都 もぐら様

小学生の頃の私にとって、駄菓子屋さんは「宝箱」みたいな存在でした。わくわくしながら店に入ると、さくらんぼ餅やチョコマシュマロ、ムギムギなんかがきらきらきらきらして、目が眩んでしまう。一人で行ってもいいけど、友達と一緒の方がだんぜん楽しくて、これおいしそうだね、とか、これとこれ後で交換しようね、とか言い合いながらじっくりと選んでいました。昔通いつめていた駄菓子屋さんはもうなくなってしまったけど、夏に食べたちょっと生ぬるいゼリーも、内側から太陽が透けて見えるスナック菓子の袋も、涙が出るほど酸っぱいガムも、お菓子を入れてもらう紙袋の匂いも、全部が大好きで、大切な私の毎日でした。今思い出してみても、あのころの記憶はやっぱりきらきらしていて、あれは宝箱だったんだなぁ、と思います。

私は週100円の小遣い・・・ 東京都 K様

私は週100円の小遣いで”あたりくじ”付きの商品を良く買ったものです。例えば、縦30x横30x奥行20くらいの箱についているボタンを押して、ガムが出てくるのですが、それの色によって当たりはずれのあるもので、1回10円で確か1等は100円分のお菓子とかが買えたんだっけな?2等50円分、3等30円分くらいで、3等が当たっただけでもかなりテンションが上がったものです。

今思うと、一番駄菓子屋・・・ 埼玉県 レッズっず様

今思うと、一番駄菓子屋に通っていた時期は小学生の頃でした。学校のすぐ近くにあり、友達と遊ぶ時は決まっていいほど最初に駄菓子屋さんに行きました。当時は駄菓子には消費税はつかず、値段も今よりも安かったので100円でも十分楽しめたし、500円玉なんて持っていけば、夢のような時間が過ごせました。残念ながら、もうその駄菓子屋さんはなくなってしまいました。気づけば、今あるのは、大きなデパートの中の一角にある駄菓子屋さんばかりになってしまった気がします。それでも見かけると、ついつい手にとって買ってしまいます。これかも駄菓子は日本の文化として根付いていって欲しいと思います。