少年時代のぼくは母親泣かせの偏食児童であった。
ご飯はろくに食べず、貯めたおこづかいをほぼ全てつぎこむほど毎日、
近所の駄菓子屋に通い、「うまい棒」「どんどん焼き」「キャベツさん太郎」・・・など、
本当に数え切れないほどの駄菓子で、食欲を満たしていた。
食育の観点から見れば、決してよいもではないのかもしれないが、
駄菓子には子どもを虜にするそういう魅力があるのは、
いつの時代になっても変わらないと思うし、変わって欲しくない。
親に怒られてまでも、食べたくなるのが駄菓子であろうと思う。
何よりも子どものお小遣いで、たくさん買える廉価な価格に
「選ぶ」楽しみも、駄菓子の魅力であると感じる。
月日は流れ、ぼくも3歳の娘を持つ親と言われる人種になってしまった。
血は争えず、我が豚児も駄菓子が(特にうまい棒のチーズ味。
奇しくもぼくの少年時代と全く同じ好みであるが)大好きである。
父親の立場からすれば、やはりご飯が食べられなくなるから、
駄菓子はほどほどにして欲しいとジレンマを抱えつつも、
母親に内緒と娘と密約を交わし、そろってうまい棒をほおばる瞬間が、
何とも言えない至福の瞬間なのである。
娘も自身が親になった時、その子どもにどのような対応をするのだろうか?
とぼんやりとした思いを馳せながら。