私の子供の頃は戦争末期から終戦直後、お菓子などは全く無くその日の食事にも支障があり1日1食か2食でした。菓子はガムかチョコレート、国道沿いや鉄道線路沿いで駐留軍の車や列車の通過を待ち手を振ると、ガムやチョコレートをばらばらと投げて行く、時には肉や果物の缶詰も。家に持って帰りガムやチョコレートは少しづつ兄弟で分けて食べたが、缶詰類を食べた記憶は無い。多分母が農家へ持って行き僅かな米や芋と交換したと思う。
私の子供の頃は戦争末期から終戦直後、お菓子などは全く無くその日の食事にも支障があり1日1食か2食でした。菓子はガムかチョコレート、国道沿いや鉄道線路沿いで駐留軍の車や列車の通過を待ち手を振ると、ガムやチョコレートをばらばらと投げて行く、時には肉や果物の缶詰も。家に持って帰りガムやチョコレートは少しづつ兄弟で分けて食べたが、缶詰類を食べた記憶は無い。多分母が農家へ持って行き僅かな米や芋と交換したと思う。